公共の電波で「死ね」と言えるのか?
ジャーナリストに求められる言論責任の境界線
テレビで著名人が発した一言が、なぜ社会問題になるのか。表現の自由と言論の責任、その微妙なバランスをあなたは理解していますか?
「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」——もしあなたの上司や同僚がこんな発言をしたら、どう思いますか?職場なら即座に問題になるこの言葉が、公共の電波を通じて全国に流れた場合、私たちはどう受け止めるべきなのでしょうか。
2025年10月、ある91歳の著名ジャーナリスト(以下、T氏)が政治討論番組で政治家に対して発した言葉が、大きな波紋を広げました。この出来事は単なる「失言」では済まされない、現代メディアが抱える深刻な構造的問題を浮き彫りにしています。
本記事では、メディアリテラシーの観点から、言論の自由と責任のバランス、そして私たち視聴者が身につけるべき批判的思考力について、具体的に解説していきます。
なぜ「表現の自由」でも許されないのか
日本国憲法第21条は「表現の自由」を保障しています。しかし、これは無制限の自由を意味するものではありません。特に公共の電波を使用する放送メディアには、より高い倫理基準が求められます。
放送法が定める「公平性」の原則
放送法第4条では、「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が義務付けられています。これは単なる建前ではなく、電波という限られた公共資源を使用する事業者に課せられた社会的責任です。
放送倫理を巡る現状
放送倫理・番組向上機構(BPO)には、視聴者から年間数千件の意見や苦情が寄せられています。その内容は、政治的な偏向報道、不適切な表現、事実誤認など多岐にわたります。
また、SNS時代の特徴として、テレビで放送された内容が数分から数十分で拡散され、その後に放送局が訂正や謝罪を行っても、最初の情報だけが独り歩きしてしまうという課題も指摘されています。
こうした状況下で、放送事業者には、生放送であっても高い倫理基準を維持し、問題発言に対して即座に対応できる体制が求められています。
「死んでしまえと言えばいい」という発言の構造
今回の発言は、直接「死ね」と言ったわけではなく、「(野党議員が高市氏に対して)『死んでしまえ』と言えばいい」という形でした。これは一見、間接的な表現のように見えます。
しかし、この発言は以下の理由で極めて問題があります。
第一に、これは人格権の侵害に該当する可能性があります。人格権とは、個人の尊厳を守る権利であり、憲法第13条で保障されています。公共の場で特定の人物の存在を否定する発言は、この権利を侵害するものです。
第二に、暴力の扇動と受け取られるリスクがあります。2022年の痛ましい事件以降、政治家に対する過激な言論が実際の暴力行為を誘発する可能性について、社会全体の認識が高まっています。影響力のある人物の発言は、模倣行動を引き起こす可能性を常に考慮しなければなりません。
第三に、議論の質を著しく低下させる効果があります。政策や思想への批判は民主主義に不可欠ですが、人格攻撃は建設的な対話を不可能にします。
「表現の自由」と「言論の責任」のバランス
では、ジャーナリストや評論家は、政治家や権力者を批判できないのでしょうか?もちろん、そうではありません。重要なのは、「何を批判するか」ではなく「どう批判するか」なのです。
許容される批判 | 許容されない攻撃 |
---|---|
「この政策は経済的に実現困難です」 | 「この人物は無能だから存在価値がない」 |
「過去の発言と矛盾しています」 | 「この人は嘘つきで信用できない人間だ」 |
「この法案は憲法の理念に反する可能性があります」 | 「こんな考えを持つ人は死んだほうがいい」 |
「データに基づくと、この主張は誤りです」 | 「馬鹿げた主張をする愚か者だ」 |
左側の批判は、政策や主張の内容に焦点を当てています。一方、右側の攻撃は、人格や存在そのものを否定しています。民主主義社会において必要なのは前者であり、後者は議論を破壊する行為に他なりません。
ジャーナリズムの本質とは何か
優れたジャーナリズムとは、権力を監視し、事実を検証し、多様な視点を提示することです。個人的な感情や憎悪を表明する場ではありません。
優れた政治報道の特徴
- 事実と意見を明確に区別する
- 複数の情報源から検証する
- 反対意見も公平に扱う
- 感情的な言葉を避け、冷静に分析する
- 視聴者に判断材料を提供する
問題のある報道の特徴
- 個人的な好悪で判断を下す
- 一方的な視点のみを提示する
- 人格攻撃や侮辱的表現を使う
- 検証なしに断定的に語る
- 視聴者を特定の結論に誘導する
放送局の責任と対応のあり方
今回の事例で注目すべきは、発言者個人の問題だけではありません。放送局側の管理体制やリスク管理の不備も、同様に重要な論点です。
生放送のリスクマネジメント
討論番組、特に生放送では、予期せぬ発言が飛び出すリスクが常にあります。だからこそ、プロの放送局には以下のような対策が求められます。
放送局が実施すべきリスク管理
事前対策:出演者への事前ブリーフィング、NGワードの共有、番組の趣旨と倫理基準の確認
放送中の対策:経験豊富なディレクターによる監視、即座にCMに切り替えられる体制、共演者による自然な軌道修正
事後対策:速やかな謝罪と説明、再発防止策の公表、必要に応じた出演者の変更や番組改編
報道によれば、共演者が即座に制止する場面があったものの、その後CMまで時間があったとされています。これは、スタッフ側の危機管理が十分に機能していなかった可能性を示唆しています。
「厳重注意」で終わらせていいのか
放送局側は発言者に対して「厳重注意」を行ったと発表しましたが、これで十分な対応と言えるでしょうか。視聴者の多くは、より具体的な説明と対策を求めています。
海外の事例を見ると、同様の問題発言があった場合、出演停止や番組終了といった厳しい措置が取られることも珍しくありません。日本の放送業界が「身内に甘い」という批判を受けないためには、透明性の高い対応と明確な再発防止策が不可欠です。
視聴者に求められるメディアリテラシー
ここまで、発言者と放送局側の問題を見てきましたが、私たち視聴者にも重要な役割があります。それは、メディアの情報を批判的に受け止める力を養うことです。
批判的思考力を鍛える5つの質問
テレビやネットで情報に触れたとき、以下の質問を自分に投げかけてみましょう。
メディア情報を見極める5つのチェックポイント
1. この発言は事実か、それとも意見か?
客観的な事実と、個人の主観的な意見を区別できていますか?
2. 情報源は信頼できるか?
発言者の専門性、立場、過去の実績を考慮していますか?
3. 反対意見も提示されているか?
一方的な視点だけでなく、多角的な情報が提供されていますか?
4. 感情に訴えかけていないか?
怒りや不安を煽る表現で、冷静な判断を妨げていませんか?
5. 自分の先入観に気づいているか?
自分が信じたい情報だけを受け入れようとしていませんか?
SNS時代の情報拡散リスク
現代では、テレビで放送された内容が瞬時にSNSで拡散されます。切り取られた一部の発言だけが独り歩きし、文脈を無視した炎上が発生することも少なくありません。
しかし同時に、SNSには従来のマスメディアにはなかった「監視機能」も存在します。視聴者が問題のある発言をすぐに指摘し、議論を巻き起こすことで、放送局や出演者に説明責任を果たさせる圧力となります。
重要なのは、SNSで情報を拡散する前に、一度立ち止まって考える習慣を持つことです。感情的な反応で「リツイート」や「シェア」を押す前に、元の文脈を確認し、複数の情報源をチェックすることが、健全な情報社会を作る第一歩です。
民主主義を守るために、今できること
過激な言論が当たり前になってしまう社会は、民主主義の危機です。政治家や権力者を厳しく監視し批判することは重要ですが、それは理性と事実に基づいた建設的な批判でなければなりません。
健全な言論空間を取り戻すために
私たち一人ひとりができることは、意外とシンプルです。
まず、問題のある発言には声を上げることです。放送局のウェブサイトやBPOへの意見送付は、誰でも行えます。「どうせ変わらない」と諦めるのではなく、視聴者としての意見を伝えることが、メディアの質を向上させる力になります。
次に、質の高いメディアを支持することです。事実確認を徹底し、多様な意見を公平に扱う番組や記事を積極的に視聴・購読することで、そうしたメディアが生き残れる環境を作ることができます。
そして最も大切なのは、自分自身も言葉を大切にすることです。SNSでの発信、職場での会話、家族との議論——どんな場面でも、相手の人格を尊重しながら、建設的に意見を交わす姿勢を持ち続けることが、社会全体の言論文化を底上げします。
覚えておきたい原則
「批判」と「攻撃」は違う
政策や主張を批判することは民主主義に不可欠ですが、人格を攻撃することは議論を破壊します。
影響力には責任が伴う
特に公共の電波を使用するメディアには、一般の会話とは異なる高い倫理基準が求められます。
視聴者も当事者である
メディアの質は、視聴者の関心と行動によって決まります。批判的に見て、声を上げることが重要です。
まとめ:言葉の力と責任を再認識する
今回の事例は、表現の自由と言論の責任という、民主主義社会が常に向き合わなければならない課題を改めて浮き彫りにしました。
ジャーナリストや評論家には、権力を監視し批判する重要な役割がありますが、それは理性と事実に基づいた批判であるべきです。人格を否定し、存在を攻撃するような言葉は、どんな文脈においても正当化されません。
放送局には、公共の電波を預かる事業者として、より厳格な管理体制と透明性のある説明責任が求められます。
そして私たち視聴者には、メディアリテラシーを高め、批判的思考力を持って情報に接する姿勢が必要です。
言葉には人を傷つける力もあれば、社会を変える力もあります。その力をどう使うかは、私たち一人ひとりの選択にかかっています。
今日からできる3つのアクション
- 問題のある番組には意見を送る
放送局のウェブサイトやBPO(放送倫理・番組向上機構)に視聴者として意見を伝えましょう。 - 情報の真偽を確認する習慣をつける
SNSで情報をシェアする前に、複数の情報源で事実確認を行いましょう。 - 建設的な議論を心がける
自分自身も、日常の会話やSNSで、人格攻撃ではなく内容に基づいた批判を実践しましょう。
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