転職を繰り返した末に44歳から看護学校へ進学した僕の体験談を中心に、看護学校に入学に至るまでの情報を提供します。
僕が看護師になるなんて思いもしませんでした。その機会が訪れたことを今でも幸運だと思っています。
人生は本当にどうなるか分かりませんね。
某飲料系のサービス業(約13年)
基本情報
- 就業時間:8:30~17:00
- 役員以外は契約社員でした。
- 給料:手取り15~17万弱(売上により変動あり)
- 冬がボーナス12万ぐらいだったので夏が約10万ぐらい(正社員はそれなりに貰ってたと思います)
- 休日:基本、土日が休日ですが月一回当番あり。祝日は平日扱いなので、GW・お盆など一切ありませんでした。
簡単に説明すると、スーパーや小売店などに商品を卸し、新商品などの営業をする仕事です。
1日の流れですがこれも簡単に
朝6:00頃出社し帰社は16:00~18:00(平均)その後売上金や商品の積込みなど明日の準備をして終了です。
今の時代、サービス残業はあたり前なのでしょうがないのですが、毎月80~120時間のサービス残業をしていました。
給料ですが、基本給 + 売上により給料は増減します。この売上というところが曲者で、担当地区により物凄い差がありました。
なんと売上金額の差が100~400万です。
もちろん大きい取引先では売上が高い分、体力仕事なので大変です。
そういう大きい取引先は休日も当番制で納品があったので僕も何度も行っています。
ですが正直なところ売上げが少ない所でも体力的にはそう変わりません。
それにその1ヵ所で時間がかかるので受持つ取引先が少ないのです。
僕たちの営業所は大きい取引先がなかったので移動範囲を広くし数多く回りました。
それでもあの売上げの開きです。
取引先を増やすために上のスタッフが営業してくれてはいましたが、そういう地区ではなかったのでこの売上金額の差はどうすることも出来ないことは分かっていることでした。
この不公平は13年間改善されることはありませんでした。
売上げの高い営業所内だけで上手に取引先を順番に回し調整してましたね。
僕も同僚もこんな会社さっさと辞めてやる!と言いながらも結局ダラダラとそのまま働き続けます。
そして、ある時から同僚の様子に違和感を感じ、他のスタッフからもそんな話しが出てました。上のスタッフにもそのことを伝え仕事量を減らせるように話しましたが、無理しないようにと言うだけです。
本人も自身の状態に自覚があったのかメンタルクリニックに受診しており、うつ病とのことでした。
これを気に同僚は退職することになります。長年一緒に働きましたが最後はお互い口数少なく、大したお別れの言葉も言えないあっさりした最後でした。
メンタルが弱すぎるっていう人もいるけど、本人にしか分からないことがあるんですよね。
同僚に何のフォローもしなかった会社に本当に嫌気が差し、また自分のことで精一杯で声をかけるぐらいしかできなかった自分にも嫌気が差し、それから僕も半年後ぐらいにこの会社を退職します。
自分で選んで入った会社ですが、この会社での時間は何も学ぶことのない無駄な13年間だったと思ってます。
同じような状況の人は多くおられると思いますが、自分の心身をまず大切にしてほしいです。
記事を書いてるうちに思い出し、少し熱くなってしまいましたw
これだけは、我ながらスゴイと自慢できます。
看護助手から看護学校へ
先程の某飲料系会社の仕事で回っている時に顔見知りに出会ったので、転職の相談をしていました。
病院勤務の方だったのですが、今人手が足りてなくて看護助手を募集しているけどどう?と誘ってくれたのです。
今まで介護の仕事はきついし給料は安いと聞いており、選択肢になかったので悩みましたが全く知らないジャンルで働いてみるのも面白いかもと入職を決めたのです。
療養型病院に入職
- 職業:看護助手
- 就業時間:8:30~17:00
- やはり女性が多い
- 給料:手取り15~17万弱(前の職場と同じぐらい)
- 夏が約22万、冬がボーナス24万ぐらい
- 休日:2交代勤務、週休二日制
看護助手ってどんな仕事するの??
看護師のサポート的な業務とのことだけど、介護の仕事です。
食事・排泄・入浴・移動などの介助。環境整備やベッドメイキングなどなど。
仕事内容としては介護の仕事だね。
今は看護師として働いてますが、介護士としても働いていたので大変さは分かります。今では介護士の方に本当に助けられていますね。
看護学校入学までのバタバタ
看護助手として約1年が過ぎた頃、同僚の男性が看護師になるために看護学校を受験すると聞いたのです。そういえば僕が今の職場に入職したときも看護助手の男性が准看護学校を受験して合格していました。その後は学校に通いながら看護助手として働いていましたね。
同僚の方とそういう話しをした時に、はっさー君も看護師目指してみたら?と言われたのです。年齢が、、、と言うと、今から看護学校に入って卒業しても15~20年は看護師として働けるよ!借金しても返せるよ。
え!今から看護師ってなれるの?
この年齢なので記憶力も落ちており、何よりもお金がかかる。時期も11月頃で入学願書を締め切っているところもありました。いろいろと課題が多くあるのですが、、、。
その会話をしながら、看護師に挑戦したいと本気で考え始めていました。今まで特にやりたいこともなく平凡に生きていたのですが、自分の意志で本気で取り組める気がしました。受験の時でさえマンガやゲームなどの誘惑に負けて本気で勉強することもなかったのに不思議です。
それからは今からまだ願書が間に合う学校を調べ、2年間の准看護学校にするか3年間の正看護学校にするか、卒業までの費用の計算など色々と考えました。
残念ながら、費用の一番かからない看護学校の社会人枠は募集をすでに締め切っていました。今から受験できる学校は3校で正看護学校が1校、准看護学校が2校あり全部受験することに決めました。
しかし、受験するだけでもお金が結構かかります。
結果は正看護学校と准看護学校1校合格できたので、受験料は払っていたのですが、准看学校の1校は受験しませんでした。
ここからまた悩みます。どちらの学校に行くのが正解なのか?
准看護学校だと、勤めている病院から2年間の授業料の補助が出るうえに働きながら学校に通うことができるのです。もちろん卒業後にお礼奉公(3年間)はもれなく付いてきますけど。
この条件は、その時の僕にとっては有り難いものでした。一番のネックはやはりお金でしたので。しかし、合格した正看護学校では勤めている病院から補助が出せないとのことでした。
専門実践教育訓練給付金と教育訓練給付制度
高額のローンを組んでも、年齢が若ければこの先時間をかけていくらでも返せますが、僕は40代でたとえ看護師になれても働ける年数を考えるとどうなんだろう?と考えてしまいます。
結婚も考えていたので、卒業までかかる費用を毎日毎日計算してどうすれば一番ベストなのかしばらく悩みましたね。
そんなときに、専門実践教育訓練給付金と教育訓練給付制度というものがあるということを知りました。
合格した正看護学校はその給付金の指定校だったのです。
年齢ギリギリで補助を受けることが出来るとのことで(来年だと年齢オーバー)、正看護学校に通うことにしました。このタイミングも正看護学校に行けというと神の思し召し(無宗教ですが)だろうと勝手に納得しました。
ただ手続きがとても面倒だったのを覚えてます。何回もハローワークにも行きました。
ようは国の補助を受けながら学校に通えるという有り難い制度なのです!
とはいえ、その補助があってもお金は全然足りません。
日本政策金融公庫と学生支援機構から奨学金を借りました。借金です!
ということで、3月いっぱいで看護助手を辞め4月から3年間看護学校に通うことになったのです。
入学までもバタバタでした。急遽、結婚式を挙げたりと。
その話はまた機会があれば書いてみようかと思います。
↓↓ブログランキングに反映されるために、バナーをクリックしていただけると嬉しいです。